杭谷は、深く、感受性豊かに石を愛する。これが小作品であろうとモニュメンタルな作品であろうと、彼の彫刻を観察して第一に明らかとなる事実である。彼は石を愛しつつ、個人的で直接的な自分のやり方で、彫刻という経験を生きる。そして大規模な作品であっても、自らの手で頑固なまでに勇ましく彫刻を実現する。有名な彫刻家にもしばしばあるように、それを他人に委ねたりはしない。『未来心の丘』のように巨大な事業の時にだけ協力の手は当然必要となるが。石への愛は、このように彼の彫刻における最も顕著な特質となる。実際、杭谷は常に、形体と構造に関してだけでなく素材においても、即ち素材との親密な関係においても、彫刻に思いをめぐらせそれを深く感じる。それゆえ彼の彫刻作品の表面は、並外れた生命力と多様性を持って処理されることとなる。しかしこの表面の処理は、肌合いの問題ではなく彫刻の実質の問題である。表面は滑らかで光り輝き、あるい鑿跡が残され、またゆったりと広がっていたり生きた肉体のように有機的に盛り上がったりする。一方、彼の素材に対する独特な感覚から、利用される石はベルギーの黒、ペルシャの赤、カッラーラの白、花崗岩など様々に(色彩も)変わり新しい関係を結ぶ。
こうしたことは1988年にフェラーラで開かれた彼の個展のカタログの中で強調しておいた。(3)
その際、彼の造形的な想像力がどういったものから構成されているのかを考察し、彼がそれぞれの作品の中で、それが大きな環境彫刻であればなおさらのことだが、対話の状況をいかに作り出そうとしているかを指摘した。この対話とは構造上の、即ち形体の対話であり、また素材の対話でもある。使用される石は異なった特徴を持つ部分から成るが、その間での対話である。つまり彼の彫刻は基本的には二つの異なった形体どうしの関係によって分節化され、また石に異なった仕上げが施されることによっても分節化を目指すのである。こういった分節化において、杭谷の造形的な想像力の中で最も目立った構成要素の間での対話が行われるのである。この二つの構成要素は双方とも自然と関わっているが、その関わり方は異なっている。一つは有機的で肉体的で生気があり、時には柔らかくさえあることを特徴とする要素である。もう一方はより構造的で荒々しく、力強くてごつごつとした粗い特徴を持った要素である。この両者は彼の想像力に於ける自然の中で働く二つの原理、自然の二つの基本的な力に対応する要素である。この自然は、杭谷によってある全体性として知覚される。そしてこの全体性の中で自然は、奥深く自発的な統一体として自らを再構築しようとする。彼の彫刻はこの統一を暗示しようとするのである。
この二つの構成要素の間にある関係は彼の想像界において基本的なものである。この二つの要素がダイナミックな均衡に、場合によっては劇的に到達することによって、人間と自然との間に統一がなされ、人間は自然の内に統一される。こうして奥深い再構築が現実するのである。この二つのものの間の関係を、杭谷は過剰にそして劇的に知覚する。現実と生命のより深いしかし対立する原理に関わる異なった二つの状況が対峙するかのように知覚するのである。杭谷は原爆投下の三年前に広島で生まれるが、「家の周辺には山や川」がある環境に育ち、「幼年の頃、山の起伏や川のせせらぎそしてよどみの変化に、遊び方が本能的に変わっていくのに」敏感であった。(4)
こうした彼の想像力はこの関係を最大限に高めることを深く望むのである。
対話は杭谷の「詩学」に於て根本的契機である。(5)
事実、彼の彫刻を特徴付ける対置される要素間の対話(有機的なものと構造的なもの、複合的全体と最も主要な部分)は、対話への意志が本質であることをほのめかす。この意志は、視覚的触知的にそれを享受する観者に向かって、彼の彫刻が意図的に明示するものである。これは当然ながら、とりわけ彼の環境彫刻に表される対話への意志である。実際こうした作品では、環境的造形による分節化された状況を創造することを意図している。そこでは状況の享受、実践、横断によって、自らの歴史と行動的なエネルギーをもった今日の都会人と(彼の都市環境彫刻はこういった人間と対話するのである)、遠く地中から湧き出る力の内に呼び覚まされた自然との間の関係が、本来の自発的な状態に導かれるはずである。造形的状況が緩やかなときの次元、自然の永遠性に立ち戻った時の次元に導く。都市の文脈に置かれた彼の環境彫刻は、こういった時に提起される対話を示唆するのである。
このように環境彫刻は、その分節化された複合性の内に観者との身近な対話を求めてゆく。曲面を描き量感を示す形体とくっきりと直線的で荒々しい断面とは、男と女、昼と夜,水と大地といった、生命と自然それぞれの二つの対極をほのめかす。環境彫刻は観者をこういった造形要素の想像力豊かな弁証法的対比の内に、様々な仕方で巻き込んでゆく。杭谷は自然の元々の次元に立ち返ること、即ち弁証法的均衡、普遍的でダイナミックな均衡を再構築することを実現しようとしているのである。杭谷はこの自然に対する関心が仏教的な原理と本能的に一致したものであることを認める。彼自身、環境彫刻に於て「自然(石)と人間の仕事を同時に備えた形を生み出し、そしてそれを山や海のような自然に戻してやる」ことを意図しているとはっきり述べている。また「人間と彫刻と自然が平衡を保ち、互いに包み込むような環境を創り出す」必要があると確信する。そして次のように述べる。「そこで、子供たちは彫刻の上に夢中になって飛び上がり、慌ただしく働いている人たちは、動かない時間に誘われて少し平穏を見出すでしょう。現代人も心の平安を求めて寺や神社に立ち寄るように、空間的記念碑を精神的に同じく必要としてくれたらと思います。それは、今を生きてゆくのに欠かせない人間のエネルギーの証でもあり得るからです。」(6)
(3) | Kazuto Kuetani,Galleria d’arte Modema,Centro Attivit’a Visive,Ferrara, 17 gennaio-21 febbraio 1988,所収。これに掲載された文章を再び取り上げ、さらに展開したのが以下ものである。 Kazuto Kuetani,csultore del dialogo,“La Gazzetta dell Arti”,a.XXII,n.s., n.3, Venenzia, aprile 1990, pp.6-9.(ここには杭谷自身の文章も掲載されている) |
(4) | IX Biennale interazionale…,cit,所収。 |
(5) | 文学批評の分野で生まれ、美術批評や西洋の批評文学、とりわけイタリアの批評文化に取り入れられた概念であるが、「詩学」とは「作家や詩人が、創造する際の技術的方法や規範、倫理、理想を示しつつ行われる自身の創作に関する省察」と理解されるのもである。(Luciano Anceschi, Progetto di una sistematica dell’arte,Mursia ,Milano,1962,p,51),Cfr,Rosario Assunto,Le poeticbe. Definizione e storia del concetto,in Enciclopedia Univaersale dell’Arte, Istiuto per la Collaborazione Cultureale, Venezia-Roma, 1963,Volume X,colonne 670-679,以下の拙稿も参照のこと。 L’Informale. Storia e poetica. Volume I parte 1 In Europa 1940-1951, Beniamino Carucci Editore, Assisi-Roma, 971, pp. 24-31;Come studiare I’arte contemporanea, Donzelli Editore, Roma, 1997. |
(6) | I vaiori dei monumento spaziale, in “Gazzetta delle Arti” cit.,p.9. |