Itto Kuetani Environmental Sculptor

【1】耕三寺の「未来心の丘」

未来心の丘 光明の塔

光明の塔 尾道市瀬戸田町耕三寺・未来心の丘

どこまでも造形された風景-それはすべてが白大理石によって作られ眩く輝き、立ち入る者に絶え間ない段差を様々に歩ませる。そして、そこに彼処に現れる限りのないエピソードが彼らを刺激する。形良くすべてを一つに纏め、包み込むようなこの環境は、同時に緑深い山と紺碧の海に挟まれた周囲の風景と向かい合う舞台となる。人の手によって作られた一つのまとまりの中で、彫刻それ自身が再び自然となる場。彫刻は自然の風景はっきりと対峙しながらも、同時に結局はそれと同化する。入り組んだ山がちの風景、その中にこのアンサンブルは位置する。

杭谷は1993年から広島県豊田郡瀬戸田町耕三寺に『未来心の丘』を建設しているが、その2000年10月に見せる姿は、実のところ計画全体の約半分が完成したにすぎない。しかしそれはすでに、間違いなく20世紀に実現された最も大規模な環境造形「アンサンブル」の一つであり、これから始まる新しい世紀へのまさに希望の証として今、引き渡されるものとなる。この造形アンサンブルはすべてがカッラーラ産大理石で作られており、幅65m、奥行き160m、高低差25mの丘の頂きに到る細長の土地に広がる。この大理石は杭谷がカッラーラで加工し、15年以上前からコンテナ船で海を渡って来たものである。

『未来心の丘』は、ギリシャやイタリアの古代都市に古典的な山上の神域のように巨大なアクロポリスとして立ち現れる。そしてすぐさま、屹立する造形と輝く白い色彩から、周囲の緑から視覚的に切り離され、山の木々の間にくっきりと浮かび上がる。ここでは、自然から採られた荘厳で始源的な石材の内に現在が創造される。ただそれは隣の仏教寺院の知的で装飾的に凝った建築物とは異なり、原初の遠い時の響きと共に生まれるものである。この丘はまだ造形的に精気ある、どこも通行可能な巨大な場を形作る。可能というよりもむしろ全体を様々な経路で歩き回るように促している。こうして入念に仕上げられた大きな彫刻や、造形的処理が全面に施された建造物などから成る色々なエピソードを通して味わうことが出来る。またあちこちで出会うより比重の小さい背景となる部分(ベンチ、壁、欄干、階段、舗床)でも同様である。視覚的に形体と構成を鑑賞し、直接その素材に触れる。これを歩き回りながら反復しつつ、この丘を味わうのである。

分節化された環境は大きく枝分かれし、段々に発展してゆく。それは多種多様なエピソードで満たされ、造形が織り目を成す場所を作り上げる。巨大な彫刻や建造物と種々の背景などがエピソードとなるのである。確かな造形性を備えた巨大な彫刻は、この場所に視覚的、感情的、象徴的参照点を作り出す。いくつかの建造物は居住可能な大彫刻として構想されている。そして開放的な空間、通路、階段、段丘、壁など、造形的処理を施された副次的な部分が背景となる。この広大で極めて分節化された造形複合体は、様々な経路を辿ることによってエピソードと出会う驚きと発見に満たされた場である。それによって感情を高め、様々な原型的な記憶を呼び覚ますことができる。それゆえここは、沈思黙考、瞑想、心理的解放へと導く空間なのである。

そこに立ち入る。すると、周囲の自然や緑あふれる山々の中よりも濃密な感情を抱き、記憶を直ちに呼び覚まされつつ、そこを辿ることができる。まるで啓示を受けて新しい自然や原初の姿をした自然に入り込むかのようであり、また天空と向き合う大理石の限りない白い輝きの中で、想像力によって姿を現した自然、果てしない時の次元に押し戻せれた自然という劇場に置かれているかのようでもある。あるいは歩み続けると姿を変えてゆく舞台に、歩き回るほど観客としてではなく役者として参加しているかの如く感じさせる舞台に立っているようでもある。この演劇的状況。そこでは造形によって絶え間なく想像力がかき立てられ、人間の創造性や構成に対する感覚が磨かれてゆく。しかしそれだけではなく限りない時の深みに分け入り、生命の起源について思い巡らすよう導かれ、自然そのものについての概念、原初の自然とはどのようなものかをはっきりとそして執拗なまでに教えてくれる。

これまでに完成した部分は、彫刻と建築の大アンサンブルである『未来心の丘』の上方部の地殻構造を類比的にたどっていると思われる。そのためこの『丘』は一段一段と上に登って行くものとなる。広々と開かれた場所であるこの部分では大理石の白い輝きがより顕著となり、心理的な戸惑いを感じさせる。また背景となる二次的な造形は、打ち解けたエピソードとして心地よく高まる。ここはまた同時に、前述のような背景をたどる経路が、いくつかの大きな彫刻作品との荘厳ともいえる出会いによって終結する場所である。これらの彫刻作品によってにあたり、仏教寺院からも、その下の海に面した住宅街からもアクロポリスとして立ち現れる。この彫刻と建築の大アンサンブルが全て完成した際には、下から上へ向かって行く道筋の頂点となる部分である。この終点に到る造形された経路は比喩に富んだものである。この『丘』の形態は機能主義的建築に見せられるような抽象的プランに基づくものではなく、自然突如として感情は激しく高まり、記憶は鮮やかに蘇る、そして原型的なものをはっきりと思い起こさせる。

最も意味深く、重要な役割を担った彫刻と出会うのがアクロポリスの先端である。この曲線の輪郭を持った幅広の階段の先にある頂点には、原型的なイメージを提起する彫刻が置かれている。それは先端部で結合する二つの直立した骨格から成り、一種の開かれたピラミッド、あるいはまるで通り抜けることのできる門、天へのイニシエーションの門ともいうべきものを形作っている。外側は幾何学的で内側は有機的な構造をもつ。頂点で接触するこの二つの構造は、二つのエネルギーが収斂し、均衡を保って接触している印である。アクロポリスの反対側に置かれたもう一つの大きな彫刻ではまだ実現されていないと思われるのがこの接触である。この彫刻では、聳え立つ二つの構造の高さが異なっており、相互に均衡ある関係に到達してないのである。

他の大きな彫刻は、アクロポリスの端にある造形的処理の施された建物の近くに配置されている。これらは完全に有機的な形象を与えられていて、起伏のある表と裏の両面から成りまるで風によって形作られたかのような姿をしている。造形的建築的アンサンブルの頂点となるこの場所で、また別の違った造形形体にも出くわす。これは柱標のようなものだが、この形体は明確で、時間、即ち自然自体の激しい力がそこに加えられたかのようである。他にも、簡単に粗削りされただけの大理石の魂-加工されていない生の自然-が、あちこちに見られる。簡単に四角く削られただけの大理石ブロック(外壁に置かれるブロックもそうである)は、自然そのままの素材の「断片」といえる。これらのもつ生の素材性、不規則な形をした幅広の大理石板による床張りの表面の滑らかさ、そしてまた大小様々に造形された多種多様なエピソード。これらはテーブルやベンチなど機能的な要素を形作ることもある。この広大なアクロポリスは、こういったものの間に常に刺激的な関係が成り立つような環境として構想されているのである。

あらゆるものがここを通り抜け想像力の中で、また実際に触れることによって環境を享受するよう刺激する。積極的に参加するよう促され、それゆえ創造的な方向に人々を解放してゆく。造形的なものによる刺激の仕方は様々である。それは一つの彫刻として「形を成している」ものであったり、あるいは未加工で形の定まらない自然のままの素材の断片であったりする。つまりこの広大な野外空間を巡る者は、視覚的にも触覚的にも形体の動きを追うこと、また素材の形態学を学ぶことを常に求められている。形体は、人間と自然との有機的な関係に感情を呼び戻す。この始源の有機性は、人間と自然を再び結び付けるであろう。素材は原初的な姿を留めることによって、自然の明白な力を表そうとしている。こういった形体と素材との関係は、生命についての弁証法的な議論を思い起こさせる。

杭谷は次のように言う。「日常生活の中には、山や海、直線と曲線、陰と陽、有と無といったさまざまなコントラストが存在するように、私の造形の中にも自然のもつ荒々しい力強さと、時間をかけて彫り上げたすべすべした曲線の量感といったコントラストの部分から形成されます。」(1)

このように『未来心の丘』は、そこに入り込む者を造形の魅力と素材の魅力によって感情豊かに包み込む。この二つの魅力における共通項は、カッラーラ産大理石の白く眩い輝きである。この日本では稀な素材である大理石は、古代から彫刻の歴史を刻んできたものである。そして同時に自然の断片でもある。満ちあふれる大理石の白い輝きは、視覚的にも心理的にも場を失うかのような感じを与え、神聖な所に入る時のような状態にする。こうしてこの場所はより強く訴えかけるものとなり、啓示的要素が入り込む。それは記憶を呼び覚ます造形の原型的な力を高め、また造形に途方に暮れたような軽さを与えるのである。

「それはあたかも自然参加により自我を忘れることの出来る21世紀の神殿のようです」。「未来に向かって創造される永遠に生きる現代の証」。「大小無数の大理石を現場に運び、海に浮かぶ島や山の型に石の組み立を問うのです。つまり景観が彫刻になったり、ときには彫刻が自然景観に溶け込むといった具合にです。」杭谷はこのように語っている。(2)

『未来心の丘』はその規模からして、これまでの、またおそらくは今後とも、彼の環境彫刻作品としては最大のものであろう。そこでは時間の経過に堪え、形態を自然からまねぶ広大な環境的作品を実現するという彼の個人的な夢が成就するのである。杭谷は本質的に環境に働きかけることに関心を持った彫刻家である。彼は80年代90年代を通じて数多くの作品をとりわけ日本の都市を背景に実現してきた。『未来心の丘』はそういった彫刻家の冒険の到達点を示しているのである。

(1) IX Biennale interazionale di scultura Citt’a di Carrara. Scultura Arcbitettura Citt’a, a cura di Enrico Crispolti e Luca Massimo Barbero,Electa,Milano,1998,p.164.所収。
(2) IX Biennale interazionale…,cit,所収。
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