Itto Kuetani Environmental Sculptor

【2】環境彫刻家 杭谷

環境彫刻家 杭谷一東

環境彫刻家 杭谷一東

杭谷が彫刻家として、もっぱら環境的規模の作品を制作する資質に優れていることは疑いを入れない。杭谷の彫刻的な想像力がどういった資質を備えたものかは、小規模の作品に既に明らかである。それでもなお環境彫刻にこそ、彼の造形的創意のもつ力と密度が十全に理解されるのである。それゆえ彼のこれまでの彫刻家としての経歴は、主に環境彫刻によって語られることとなる。

1981年に杭谷は、ローマ近郊の町マリーノにあるヴィラ・デジデーリに作品を制作する。以来彼は、自らの造形的仕事が最高の到達点に達し得るのは環境の空間性と向き合う時であることを認識した。環境的空間に作品を制作することは、単なる物体でしかない小規模の彫刻には未知の様々な種類の関係を生起させる。物体としての彫刻がある特定の空間的条件から離れて作品の質を明示するのに対し、環境と向き合うように作られた造形は必然的に配置される環境と特定の関係を確立してしまう。即ち空間の広がりや空間を享受する上での条件、また空間を特徴付ける印などとある特定の関係を結ぶのである。故に彫刻家が環境規模での制作にかかわることは-もしそれが正しく理解されるならば-物体としての彫刻を制作する時よりも、より複雑な課題を抱えることになるのである。

家族

家族(1981年)胡椒石 3 x 1.5x 1.5m ヴィラ・デジデーリ(イタリア・マリーノ市)

多くの彫刻家が「モニュメント」を制作する機会をもったが、彼らにとって最も相応しい作品の大きさは物体規模の彫刻のままである。こうした彫刻家たちはモニュメンタルな作品を制作するときも、彼らの物体規模の彫刻作品を拡大するだけだった。しかし環境彫刻家であるということは、単に野外空間に制作することのみを意味するのではない。即ち、大小の彫刻作品を広場、道路、公園や庭園などに置きながら、こうした造形的物体がその環境的場所と関係をもたない、あるいは相互に無頓着であってはならないのである。反対に、環境彫刻家は、常に作品を設置する場所の環境的条件に留意しつつ作業しなければならない。つまりその空間が選ばれた理由や、場合によってはその空間の都市において果たす機能といった点だけでなく、その形態的特徴、社会的機能、その空間を特徴付ける印、そこにまつわる記憶の蓄積など、多岐にわたる要因を念頭に置かなければならないのである。

あらゆる彫刻が当然ながら空間性という概念を暗に含んでいるが、物体的彫刻の場合こうした空間性は自足したものであるが故に、彫刻自体どういった文脈に置かれようと本質的にはそれと無関係である。結局、物体的彫刻は判読可能である限りどこに置かれても構わないのである。それに対して環境彫刻は、置かれる環境の空間性にまったく左右される。それゆえ彫刻家にはその空間性と弁証法的関係に入り得るような想像力豊かな計画性が必要とされる。環境彫刻はこの空間性を解釈し、あるいは改変するのである。つまり何らかの方法で空間性を自らのものとし、結局は彫刻を含めたより複合的な空間の中に存在することになる。彫刻はその統一体の中で相応しい形状をとることによって環境空間に影響を及ぼし、最終的には新たにその状態を規定する要素となる。

伝統的な「モニュメント」は広場や通り、あるいは公園といった外部空間に置かれた大きな彫刻であるが、その空間との関係は単に接点を持つだけに留まっていた。こういったモニュメンタルな彫刻の自足した空間性は結局のところ、それを受け入れる場所の空間的内実に跡を刻むことはない。せいぜい参照点となり得るだけであり、その場所の空間的内実を本質的に改変する要素となることはない。モニュメンタルな彫刻の空間性とそれを受け入れる場所とは、接触し重なり合っていても、相互が本質的に干渉し合うことはない。事実こうしたモニュメントは車の通行を妨げるなどといった理由から、町の他の場所に移されてしまうことがよく起こり得るのである。

環境彫刻は、制作される場所の形態と解消しがたい結び付きを持って生み出されるものである。そのための空間の内実と相俟って「唯一のもの」を構成する。従って環境彫刻は実現される場所の空間的形態を決定する。なぜならこの彫刻を形作った想像力豊かな計画性が弁証法的関係に入るからであり、場所の空間性を改変する要素として働くからである。このように環境彫刻は外の空間に作用を及ぼすものであって、実現された場所の空間的形態を弁証法的に自らのものとした時に初めて自律性を再び獲得する。

杭谷にとって環境と向き合うことは、自らの造形を環境的文脈と弁証法的関係にあるように挿入すること、即ち空間的環境的に外的な関係を形成することを意味するだけでなく、そのような空間の中で造形を分節化することによって、空間的環境的に内的な状況を形成してゆくことをも意味している。要するに彼の造形は、まず所与の空間と関係を持つ環境的作品であり、さらに作品自体の内に環境的状況を形成するものでもある。それゆえ杭谷の環境的造形作品は、ほぼいつも立ち入ることが可能であり通行可能なのである。というより、形体的構造を環境の中で視覚的に見せるだけでなく、物理的に触知しつつ享受することを勧めているのである。結局杭谷の作品は、形体の素材性と石の素材性との間を絶え間なく参照し合う弁証法的相互作用の中で、形体としても素材としても享受されるのである。

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