さて、杭谷は何よりも環境的作品に打ち込む彫刻家である。彼の作業に於て、部分である物体規模の彫刻に携わる時も、常に一貫して想像力豊かに設計全体との関連を考慮に入れている。彼は80年代から90年代まで様々な環境彫刻のアンサンブルを、そして特に『未来心の丘』のような複合的で格外に広大な造形的建築的アンサンブルを実現してきたが、その仕事の成果は、前の世代も含めて、異なった文化領域で環境的規模の制作を行ってきた他の彫刻家たちの多くの作品と正当に比較することができる。
環境彫刻に従事することは実践であって「詩学」ではない。それはまさに環境的空間の中に造形を設計してゆく作業の方法を意味する。この空間が都市空間であろうと自然空間であろうと、また外部に置かれようと内部に置かれようと関係ない。作業の方法、作業の実践であって、その実践の中でそれぞれの作家は自分の造形のディスクールを展開でき、自分の「詩学」の意図する所を実現できる。それゆえ環境的空間の中での作業には、かなり異なった方式が存在するのである。そしてこのことが現代の環境彫刻の豊かな現象学的多様性を作り上げるのである。この多様性は特に20世紀後半の最後の数十年間かに確認される。(17)
しかし既に、一挙を挙げるならば1957〜58年にマティアス・ゲーリッツは、メキシコ・シティの衛星都市の入口にある「五つの塔の広場」に一群の単純な塔の形をした構築物を設置している。これらはセメント製で高さは約40m、色はそれぞれ異なっている。そして極端な短縮法に従って配置され、都市の中ではっきりとした基準点となる作品である。一方イサム・ノグチはシュルレアリスムに由来する有機性という観点から、すでに1945年には建築家エドワード・D・ストーンの協力としてセントルイスの「ジェファーソン・メモリアル・コンペティション」のために、また1952年には、ニューヨークのパーク・アヴェニューにある「ガーデン・オヴ・リヴァー・ブロス・ビルディング」のために、造形的環境的アンサンブルを構想している。
ソマイーニは70年代初頭、現代の都会の建築の文脈(高層ビル)と都市の文脈の中に、大きな造形を介入させる計画を構想している。こうしたものを地下道の道筋や地下鉄の入口を印し付けるなどの機能と結び付けようとし、また有機的な抑揚をもった旺盛な造形性を備えたものとして構想している。そうすることによって、ますます匿名化し記憶を抹消する状態にある都会の中に、原初の生命や人間の歴史の記憶を思い起こさせようというのであり、都市の文脈に造形を小さく介入させて行こうとするのである(1980年に計画された「デュッセルドルフのグスタフ・グリュントゲンス広場整備計画」など)。それに対しスタッチョーリは、70年代の初めから最低限の要素からなる幾何学的な造形構造を提案し、都市の文脈や自然の文脈の中で、感情的にまたイデオロギー的に警告となるような新しい造形的な印を作り上げようとする(多くの人が憶えているだろうが、1978年のベネチア・ビエンナーレの入口に置かれた大きな四角い壁。これは中央パビリオンに到る主要な通りである並木道の式典的雰囲気に抗議したものである。他に例えば1988年にソウルのオリンピック公園に置かれた『ソウル’88』と題された赤いセメント性のコンマの形をした巨大な曲線の構造)。
ニキ・ド・サン・ファールの環境的作品に於て、彫刻は具象的、魔術的、怪物的、アニミズム的な建築へと変わってゆく傾向を見せ、また色彩が極めて豊かになる。トスカナ南部カパルビオ公害に1979年から1990年にかけて作られた「タロッキの庭」では特にそうである。これは建築的造形的な環境が開けた田園の中で展開するものである。お伽話の魔術的な魅惑を備え、想像力を強く刺激する場所を作り上げている。造形的な形が発作的に高まり、またあらゆる部分を覆っているモザイクの強烈な色彩が目を眩ませる。一方ピエトロ・カシェッラの数多い作品とジョ・ポモドーロの作品では、造形要素をあちこちに配置することによって、彫刻は環境に変わろうとする。こうした造形要素は、通行可能でたびたび訪れることも可能であり、日常の生活に提供される場所である。カシェッラはあらゆる形体や造形的構造、またその素材(多くは粗面仕上げの施されたトラバーチンで、そうでなければカッラーラの大理石である)の処理の仕方自体と心地よく対話しながら享受するという側面に重点を置く。こうした側面は、すでに1962年から67年にかけて黒い砂岩を用いてアウシュビッツで制作された『ポーランド人民と他の人民の殉難記念碑』に、また特に1970年から74年にかけてミラノのレプブリカ広場に制作されたジュゼッペ・マッツィーニ記念碑や、あるいは1982年から83年にかけてアブルッツォ州ペッシーナ大聖堂前の広場に設置された『毎日の記念碑』に現れている。それに対しポモドーロは構造の抽象的で魔術的な厳密さを強調し、そうした構造が象徴的、記憶的指示に満ちた通行可能な環境的アンサンブルを作り上げるようにする。このことは1977年にサルデーニャのアレスに制作された『集団でれる利用する面、グラムシへ』、あるいは1981年から86年にかけてモンツァのラマゾッティ広場に設置された『太陽-月-木』と題する作品、そして特に1989年にタイーノ(ヴァレーゼ県)に建設された『四方位基点の場所』に明らかである。
ヨルゲン・ハウゲン・セレンセン(デンマーク人、北欧のグループ「コブラ」の実践に近い有機的想像力の中で芸術形成される。但しカッラーラに程近いピエトラサンタ在住)は70年代初めから、有機的なものを思い起こさせる変化に富んだ造形要素をあちこちに配置した環境彫刻に取り組んだ。そこでは石の素材に多様な処理を施すことに特に関心が向けられている。(1971年から73年にかけてコペンハーゲンのデンマーク・ジャーナリズム学校のために制作されたアンサンブル、また1978〜79年のコペンハーゲン大学のための造形アンサンブルなど)。最近では未加工の素材を利用して、分節化されていながらより統一的な造形構造を作り出している(1993年のコペンハーゲンの『雨の家』など)。
こういった様々な要素をあちこちに配置して造形的環境を設営してゆく流れの中で、当然かつて制作されたノグチの作品が記憶されなければならない。このような作品を制作する際、彼は日本の庭園の伝統に立ち返り、未加工の石を利用している。(1956か58年のパリのユネスコビルの「庭園」など。また1961〜64年のニューヨークのチェース・マンハッタン・バンク・プラザの「庭園」では日本の川石を利用している)。あるいは部分的に手が加えられ、部分的に未加工のまま残されている花崗岩を造形要素として利用している(1960〜61年にテキサス州フォース・ウォースのファースト・ナショナル・バンク本店前に置かれた彫刻アンサンブルなど)。
他の作家たちは、より開かれた空間的文脈で建築や都市を対比の基準とした環境的な場を展開していった。例えば、バルセロナのオリンピック村のイカリア通りの上に『つる棚』作ったエンリック・ミラリェスが挙げられる。また特にダニ・カラヴァンは、1962〜68年に作ったイスラエルのベール・シェヴァの『ネゲヴ記念碑』、1987〜88年のテルアビブの『白い広場』、1987ー88年のソウルの『光の道』などを制作している。パリ近郊セルジー・ポントワーズに1980年から建設している都市構造の印から成る巨大なアンサンブル『大都市軸』では、リカルド・ボフィルの作り出した建築的文脈の中に、またその土地の自然とも係わりを持つように構造によって作られたルートが広がり、都市の基準となる造形構造が配置されている。また井上武吉の環境的な仕事も厳密に分節化された建築の中で展開する。そこでは、常に非常に確固とした形を持った様々な造形要素が、彫刻家自身によって設計された、田園あるいは都市の中の環境的アンサンブルである建築的環境的文脈に挿入される(1998年の室生村のためのプロジェクト)。
ここでもノグチがすでに50年代に作り出していた建築的造形的複合体のプロジェクトを思い起こさなければならない。それらは建築的量体が幾何学的に配置され、形式的によく計算されたものだった(1952年に広島に作った「戦没記念碑」や1957年の「仏陀記念碑」など。しかし、形式的に非常に内的な造形アンサンブル、1960〜64年にニューヘブンのイェール大学ベーネケ稀覯本図書館の開放空間に実現した『庭園』も記憶されるべきである)。(18)
杭谷は、建築が支配的な造形的環境的状況、というか、建築的構成要素が彫刻の存在を凌駕する状況を構想しない。杭谷にとって彫刻が建築に変わり得るのである。逆ではない。特にこういった点で、彼が80年代に実現した環境彫刻のアンサンブルは、カシェッラやセレンセンが制作した造形的環境的アンサンブルと類似している。セレンセンとは、有機的な想像力や石の仕上げに現れる表現的な質に対する極めて強い関心を共有している。実際杭谷は、石の仕上げを自分ですべき仕事として重視し、他人には任せない。もちろん『未来心の丘』のような大きな仕事の時には協力を求めるのであるが。そしてまさにそういった仕事においてこそ、杭谷が建築的空間的部分に、いかに秀でて造形的で彫刻的価値を与えるかがより明らかになるのである。
(17) | 20世紀後半の環境芸術については以下を参照。 Earbworks and Beyond, Cross River Press. New York. 1989 : Anne Hoormann. Land Art. Kunstprojekte zwiscben Landscbalft und offentlicbem Raum, Reimer, Berlin, 1996. |
(18) | ここに挙げたそれぞれの作例に関しては以下を参照。IX Biennale interazionale…,cit;Franco Summa, L’arte della Citt’a, Scelte e proposte di Oriol Bohigas, Francois Burkhardt, Enrico Crispolti,Pierre Restany, Regione Abruzzo, Pescara, 1998.さらに Isam Noguchi a sculptor’s world,foreword by R/Buchminster Fuller, Thames and Hudson, London-Nem York,1967; Isamu Noguchi Retrospective 1992, The National Museum of Modem Art, Tokyo, 14 March-10 May 1992. |