仏教寺院「耕三寺」の境内の隣に、それよりも高く海面から聳え立つ『未来心の丘』は、正真正銘のアクロポリスである。その複合的なプロジェクト全体において、この丘は分節化された造形的公園を形作り、そこでは多様な経路が様々な場を結び付けている。この場とは視覚的な基準となる理想的な点を構成する大彫刻、即ち純粋に造形的なものによって作り出されるものであり、また公共に享受される異なった機能を備えた場所や建造物によっても作り出されるものである。多様な経路が高低差のある中を走っている。杭谷は1998年の夏に、この複合的なプロジェクト全体の模型を「彫刻-建築-都市」をテーマにした「第9回カッラーラ市国際彫刻ビエンナーレ」に出品している。この模型は「広大な環境彫刻の実現」というセッションで重要な作例となっている。
この巨大な造形アンサンブルの内、これまでに実現されたのは一番上の部分、即ち実質的にアクロポリスにあたる部分である。最も高い場所に至る経路が延びており、ここからは町とすぐ近くの海を一望できる。曲線の輪郭を持つ幅広の階段を通って到達する頂点には、結び付く二つの要素から成る巨大な彫刻が置かれている。地元で採られた巨大な石塊からなる大きな土台に全体が支えられている。このテラスの上には喫茶室があるが、これは居住可能な巨大な彫刻として構想された建物である。
2000年以降に実現される部分は、これよりも低いところに展開するが、そこでは野外劇場に見られるような大きな階段状の観客席が圧巻である。ここは、杭谷が想定するように、能舞台、神道の典礼音楽である神楽の演奏、オペラ、結婚式、カラオケなどに利用される。この劇場の舞台は、非常に分節化された造形的な場として構想されている。
劇場の観客席の外側は巨大な外壁となるが、その中央にはこの観客席へのモニュメンタルな入り口が開けられる。これは下の方からやって来る見学者に、この複合的なアンサンブルが最初に印象的な姿を現す部分ともなるだろう。この外壁の両側からは劇場のある下の部分とアクロポリスのある上の部分との中間部に至る通路が延びている。そこには、この土地の植生を思い起こさせるような緑の木々が植えられる。ここに立ち入ることは、まるで完全に造形化された都市に入り込むかのようであろう。そこでは地面そのものから外壁や建物、ベンチ、欄干、階段、そしてまさに頂点をなす大彫刻の存在まで、あらゆる要素が造形的に構想されており、自然の原初の生命力を暗示する有機的な形体が大理石に生命を与えている。杭谷はその生命力をもって、より高度な調和である形体と自然の発生論的一致を生み出そうとしている。そこでは想像力豊かなモチーフとは、形体と素材、即ち彫刻の中にある「形をとった自然」と生の素材の中にある「始原の自然」とが常に向き合うものなのである。
『未来心の丘』のアンサンブルは、感情を巻き込むような経路に立ち入らさせてくれる。そこでは造形的場面が変化し続け、素材や形体との始原的な、また心的に解放されるような関係に導かれる。この関係が、より本当に自然のそばにあるための原則である。この造形アンサンブルは独特な造形性故に自然と区別されるが、然しながら周囲の自然から切り離された閉じた砦ではない。実際その全体が山々の風景に入り込み、また形体的な類似から風景を喚起するものとなり、さらに元々の素材を明らかにすることによって風景を高めている。こうしてより広い意味で、風景自体の特徴付けられた一部となり、自然となるのである。つまり風景は彫刻を取り込んで作り直され、彫刻は風景の新たな様相のなかに溶解する。また大昔の自然が再び見出され彫刻は自然の新たな様相の中に溶解するのである。
杭谷は『未来心の丘』を、自然の自発性に親しく与る儀式、視覚的にも感覚的にも参加するような儀式が行われる現代の世俗の神殿と考えている。場面に立ち入るだけでなく、自分自身もその構成要素となって参加するのである。杭谷は、形体を遊離したものとして眺めるだけでなく、心理的にも物理的にも形体や素材と接近した関係に巻き込むような造形アンサンブルを目指している。この形体は、有機的で生気ある姿を素材自体の中に刻んだものであり、元来人間もその一部であった自然そのものに備わるエネルギーを感情的に高めている。しかし同時に杭谷は、大理石で形の整えられたものでも粗い仕上げで素材の効果が出ているものも、いずれも自然の変遷に従い、最終的には調和ある状態に戻されると見ている。そして彼の作った環境彫刻が、時間の中で辿る運命にある長い旅路について語っている。その時の流れの中で素材と形体には「太陽風雨といったあらゆる季節感が参加して日増しに研きが加わり」「周辺の空気になじんで精粋を吸い上げ、そこに存在すべき地球の一部としての成長を見る」。(19)
自然の本来の次元を再び獲得することに向かう長い旅路である。日常の苦悩や制約などの偶発性を越えた深い真実の時間が無限の次元を取り戻す。杭谷は、自身の最も大きな仕事となる造形的環境的作品に「未来心=希望」という名を付ける。私にはその言葉の本当の意味は、あらゆる偶発性を越えた時間における生命の調和を熱望することに思われる。
エンリコ・クリスポルティ
(19) | IX Biennale interazionale…,cit. |